美しい地球を守る 地球再生計画
株式会社グローバルクリーン
美しい地球を守る 地球再生計画 美しい地球を守る 地球再生計画
お電話でのお問い合わせはこちら メールでのお問い合わせはこちら
地球再生計画コラム
食べるだけで○○や○○が治る究極の米・作物を育てる農法
この間、山形に講演会に行った時、佐藤秀雄さんという方に出会った。この方の田んぼを見せていただいたのだが、その農法を開いて驚いてしまった。
 まさにこれぞ究極の農法かと思える素晴らしい稲を育てておられた。
 まずは、田んぼの泥を食べてみて甘いのに気づいた。その土の波動、水の波動、稲の波動を測定してみてギョー天したのである。というのも、今までに見たこともない高い波動が測定されたのだ。
 そして、その農法を聞いて感動してしまった。
 まず、種籾は稲の収穫の前に、穂の中でもよく実のついている穂から手ですくって取るそうである。それから、本当の米づくりが始まるというのである。
 11月から4月頃までの半年間、種籾に愛情を注ぐというのだ。種籾の遺伝子は過去何代かの間に農薬や除草剤、また過酷な気候条件などで傷ついてきているので、まずその遺伝子の傷を時間をかけて癒していく作業を行うというのである。
それには、備長炭や酵素、微生物、海のミネラル、セラミックス等を用いて、傷を癒しながら、誤った遺伝子情報を修正していくというやり方をとる。
さらにこの半年の間に種籾に本当においしい米になってくれ! 人の病気、ガンや精神病までも癒す米になってくれ!と念ずるのだそうだ。子供を育てるように愛情と念を注ぎ込むのだそうだ。そして、クライマックスの苗を育てる時期には、それが頂点に連する。
 自然塩水・酵素、備長炭、薬石、セラミックス、松、竹、梅の木の微生物など自然界の恵みを総動員させて、育苗に自分の全精力を注ぐのだという。愛情も念も最大限注ぐ。このとき、あまりにも自分の全身全霊を投入するので、倒れるくらいにあらんかぎりのエネルギーを注ぎ込むというのである。
 佐藤さんに育てられた種籾は幸せであろう。これほど愛情を注がれた種籾はいまだかつてないというほどのエネルギーの注ぎようだから、種も苗も佐藤さんの期待に応えるよう努力するにちがいないと思えてきた。
 まきに佐藤さんが期待するように、ガンや難病から精神病までもが治ってしまう米、それを食べるだけで病気が治ってしまう米が実際にできるのである。こんな奇跡的な農業ができるのは人間だけである。
まるで、神様の創造の業のようではないか。人間の思いどおり、期待どおりに、そこに投入した愛情の量と深さに応えて種や苗が育っていくのである。目に見えない理想を形にしていく創造の行為でもある。
農業の素晴らしさを実感せざるを得ない。農業はどんな仕事よりも生きがいを実感できる偉大な職業であると思った。
 その佐藤さんに私はこう言った。
 「これからは佐藤さんたちのやっている農業の時代がきますね」
 すると、意外な答えが返ってきた。
 「いや、これからは農業がなくなる時代がきますよ」
 「えっ?」
 私は一瞬わが耳を疑った。いったいどうしてなのか?
 その理由を開いてみると、こういうことだった。これからは自分の食べる分は自分で簡単につくることができるようになる。それも最高の米ができるようになるというのである。
 そして、人のつくった米を食べるよりは、自分が愛情を込めてつくった米を自分および家族で食べるのが最高というのである。
佐藤さんの農法だと、昨年まで農薬と除草剤を使っていた田んぼでも、一年目から九九%完全な土と米ができることがわかった。
ふつうは農薬を使用していた田んぼを無農薬に切り換えて完全な土や米になるまでに五年はかかる。
佐藤さん独特の木の芽、草の芽、生ゴミ、ボカシ、微生物を使った農法によると、一年目でもう完全に近い土と米ができてしまう。二年目はさらに完璧である。そして、四年目から五年目には、不耕起で春になったら、食べる人が種籾をまくだけで稲が育つというあまり手のかからない農業が実現するということだった。
 ドクダミやヨモギは毎年すべて刈り取っても、また来年になれば再びおい茂ってくる。稲だって同様に、毎年刈っても刈ってもまた次の年には自生してくる野草のようになるのではないかと思われる。
 種をまいてちょっと世話してやるだけで、毎年野生の稲のように生命力あふれる米が収穫できるようになるのだろう。
 自分の食べる分の米をこのような方法で農家より土地を借りてつくったならば、農業専業の人はほとんどいらなくなってしまうことであろう。
 農業が職業として必要なくなる! 佐藤さんのいった言葉の意味も実はここにあったのだ。
 米を食べる人は誰でも一年のうち何十日かを農作業に費やさなければならない。そして、それで十分に一年分の米づくりは足りてしまうから、残った日数は好きなことをして過ごせるということになる。こんな理想的な生き方がほかにあろうか。満員電車に揺られて毎朝通勤通学し、騒音のする埃っぽい雑踏を歩いてせっせと目的の職場や学校に通う。
家族はいつもパラバラで、お母さんは赤ちゃんを連れて公園に行き、なかなか友達ができないで親子二人ですべり台やブランコで遊ぶ。こんな味けない日常と比較したらどんなにか人間的だろうか。
 今の農業は誰が食べるかわからない米を、職業として生活のために義務的につくっている。
 当然、種籾や苗、稲に愛情を込める努力などはする人も多かろうはずはなく、生業として機械的に作業にいそしむのがせいぜいのところとなってしまう。
 だから、米もおいしくないものになってしまうわけだ。農作物はつくり手の愛情の込め方とエネルギーの投入量ですべて味や質が決まってしまう。この点では、米は画家が絵を措くのと同様、精魂尽くしてつくり上げる作品だ。投入した心がそのまま形となって現れてくるからである。

 これからの時代、農を業とする人は、食べる人のことを思って、病気が治るような米、食べるだけで元気が出る米を食べさせてあげたい、おいしい米を○○さんに食べさせてあげたいなどという愛情を投入できるのでなければならない。
自分の全人格を投入し、愛情を精一杯注いだ結果として完成した米は、芸術品ともいえる。米も農家もその米の質と内容を理解してくれる人に食べてほしいと思うに違いない。
佐藤さんも自分がそれだけ「まこごろ」を込めた米はその内容の良さを理解して下さる人にしか食べてほしくないと言っておられた。自分の心血を注ぎ、丹精込めてできた芸術品、分身とも言える米であれば、この言葉も当然かもしれない。
お電話でのお問い合わせはこちら メールでのお問い合わせはこちら
Copyright(c) 2005 GLOBALCLEAN Co.,Ltd. All Rights Reserved.